シリーズ① 川原朋子さん
取材/文:岡見京子
バイリンガル(日英)ヨガ講師。癒しと回復のためのヨガ、セルフケア、セルフヒーリングとしての瞑想、マインドフルネスなど、日々の暮らしの中で心と体を楽にすることを、誰にとっても身近な等身大のものとして伝えることをライフワークとしている。セルフケアはコミュニティケア、ヨガを伝えることは社会貢献であるという想いを大切に、リストラティブヨガを通して東日本大震災の復興地を支援するチャリティ “Breathe for Peace (B4P)” を主宰。マットの上と外をつなぎ、プラクティスの恩恵が日常に広がる素晴らしさを分かち合うことを指導の軸としている。
https://www.facebook.com/yoga.with.tomoko/
経歴
・Yoga Studies Institute 300H Teacher Training 終了
・Heart of Yoga 200H Teacher Training 終了
・Restorative Yoga Level 1 Teacher Training 終了
・Restorative Yoga Level 2 Teacher Training 終了
・Women’s Yoga Teacher Training 終了
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Q: iRestに興味をもったきっかけは?
15年ぐらい前、当時のヨガの先生が、ヨガ・ニドラのことをもっと深く学びたいならと、リチャード先生の『iRest Yoga Nidra』(原書)を奨めてくれたのがきっかけです。
すぐに読んでみたのですが、正直その時はあまりピンときませんでした…。
しかし2020年初めに、突然仕事で予想外の大きな問題に巻き込まれ、日夜その対応に追われることになりました。追い打ちをかけるようにコロナ禍となり、自分を見失いそうな状態になっていた時、SNSでふとリチャード先生の言葉が目に止まりました。
“Meditation is about feeling in harmony with life in each moment.
瞑想はどの瞬間も命(人生)との一体感を味わうこと“ (英文:Richard Miller、訳:川原朋子)
命そのものとして、丸ごと今にくつろぐことが「瞑想」だというメッセージに、「まさにそうだ!」と、とても胸に響くものがありました。
自分を取り戻す。
自分が自分に戻っていく。
自分を見失っているから、不安になっている。
外に探しにいくのではなく、あるということを忘れてしまっているだけ。もともとあるものを思い出していくのだと改めて気づかせてもらい、リチャード先生の『iRest Yoga Nidra』を読み直してみたら、最初に読んだ時と入り方が全く違って。あー、こんなことを言っていたのかと、まさに「ガッテン!ガッテン!」の連続でした。
それからリチャード先生のオンライン講座をいくつか受け、毎日実践するようになりました。また本を読み直したり、フユコ先生が主催されたiRestヨガ・ニドラ瞑想入門講座(2020年)、オンラインサンガに参加したり、フユコ先生に個人セッションをお願いしたりしています。
このリチャード先生の言葉は、iRestそのものが何であるかをよく表していると思います。
でも私の場合、十数年という年月があって、ようやくこの言葉を理解できるようになりました。
それまではおかげ様で仕事は上手くいっていました。でも コロナの直前に全てに急ブレーキがかかるような出来事が起こり、加えてコロナ禍となり、図らずもiRestに再会することになったのです。
コロナ禍も含めて、そういう出来事が無かったら、ここまで気持ちが向かなかったと思います。これもリチャード先生のおっしゃる「全て自分の真髄(真の自己)に戻してくれている」ことだと、今は思っています。
iRestの概念を学んでいる段階は、言葉で上手く説明できなかったり、知的な理解が追いつかないことも多々あります。でもその状態でも、自分は自分の本質そのもの。そうであるということは変わらないので、そもそもそうなんだということを、感覚、体感として思い出していく。その繰り返しだと思います。そして、その感覚、体感があることで、リチャード先生がおっしゃっていることがとてもよくわかるようになったのです。
これはやはり体感がないとわかりません。
15年前、リチャード先生の本と初めて出合った時の私が、そういう状態だったのだろうと…。
本は15年前と全く変わっていません。でも今は体感があるから理解できるのだと思います。
Q: 川原さんにとってiRestとは?
今はiRest = 瞑想だと捉えています。
日本ではヨガ・ニドラは「眠りのヨガ」と訳されて、ヨガ・ニドラ=リラクゼーションだと思われている方も多いと思います。
もちろんリラクゼーションも素晴らしいですし、特に、今、コロナの影響がこれだけ長引いている中では、リラックスした方が絶対に良いと思います。
「ニドラ」には、「眠り」「睡眠」だけではなく、「眠ってしまっている=自分の本質を見失ってしまっている」という意味があります。その状態から「目覚めていく=自分の本質を思い出すツール」がヨガ・ニドラですので、深く眠ることだけが目的ではなく、むしろそこから。本当はそこが入り口で、深いくつろぎを味わうことで、自ずと瞑想(命として今にくつろぐこと)が起こっていくんですよね。
そういうことを教えてくれたのはやっぱりiRestですね。
こんなに奥が深いものだとは思いませんでした(笑)。
ヨガ・ニドラはリラクゼーションで終わらないんだ!と、すごく衝撃的でした。
ただiRest = 瞑想といっても、瞑想をどう捉えるかによって、同じ瞑想という言葉を使っていても話が噛み合ない難しさもあると思います。
例えば、「座禅のように座って、身体を動かさず、思考を無にする」という瞑想法だけが瞑想だとすると、iRestでやっていることは、瞑想ではなくなってしまうと思うのですね。
iRestは、横になっていても、歩いていても、座っていても、本人が楽であれば、どんな体勢でも構わないと言われるわけですから。
でも、本人が、自分、その「自分」という概念も、それこそ「身体に入っている小さな自分」と、「それに囚われない大きな自分」がいると思うのですが、その元々の大きな自分に戻っていくことで、自分が自分の中にくつろぐということが瞑想だと考えれば、それはマットの上や、瞑想のクッションの上に限定されることではないと思います。
私はこの「iRest」という名前が、とても素晴らしいと思っています。
「小さな自分(i)」 が、「大きな自分の中にくつろぐ(Rest)」。
ただ残念ながらこのニュアンスはなかなか伝わりにくいので、私は敢えて「ヨガ・ニドラ瞑想」と呼んでいます。
Q:iRestの良さをどのように感じていますか?
まず、5分、10分と、短い手軽な実践法が色々とあるところです。
それまでも他のヨガ・ニドラをかじってみたりしましたが、基本的にどれも1つの実践が30〜40分とわりと長いのです。それは現代社会で生きる私たちが日常に取り入れるには、あまり現実的な長さではないと思います。
でも最初の頃は、短時間のiRestですら起きていられず、途中から寝てばかりでした。
気づいたらまた寝ていて、気づいたらまた寝ていて…。
その頃は心身共に本当に追い込まれていたので、無理もなかったと思います。
眠ってしまってもいいのです。そもそも疲れているから寝落ちしてしまうので、そういう時は寝た方がいいですから。
でもそれでも続けていくと、実践しながら眠ってしまっても、そうやってリラックスすることでエネルギーが充電され、自律神経のバランスが整うことで、そのうち眠らずにいられるようになりました。
そして自然と「あー、こういうことを言っているのか」ということがわかってきたのです。
ただ頭で言葉の意味がわかっても、例えば「対極を同時に感じてみる」という瞑想法も、最初は「えーー????」と全然わからなかったのです。すると、「頭で考えてしまうとわかりません」というガイドが流れてきて、「あー、そうだよな」って(笑)。
でもそれがある日、感覚としてわかった瞬間があったのです。「うわぁーー、これかぁ!」って。
iRestのプラクティスは、そういうことの連続でした。
でもこれも一口サイズの短い実践だからこそ続いたのだと思います。
今も朝一番にするのは、5分程度のとても短い練習です。
この手軽さがiRestの魅力の1つだと思っています。
次に、誰も遠ざけられていない、ユニバーサルな、バリアフリーな手法だということです。
例えば、ヨガ(アーサナ)でも身体の可動域や、その方の心身の状態によって何かしらの制限があれば、できないことがあると思いますが、iRestにはそういった垣根がありません。
本人が楽な体勢だったら何でもいい。
加えて、誰にでも受け入れられるように、宗教色も排除され、とてもニュートラル(中立的)です。
臨床心理学や脳神経科学など、様々な科学的根拠を元に論理的な説明もなされ、何となく良いというものでもありません。
「学び」は、頭で理解することだけではなく、自分の体感が伴って初めて腑に落ちることだと思うのですが、そういう知的欲求も満たしつつ、体感を通して理解するという実践的な要素に何より重きが置かれているのが、iRestの素晴らしさだと思います。
実は、老若男女、国籍、宗教観、価値観を問わず、誰でもできる万人向けの瞑想法です。
ただ、この素晴らしさを人に伝えるとなると、やはり難しさもあります。
もし正解が1つしかないならば、伝えやすいし、わかりやすいと思います。
例えば同じヨガでも、私が最初にやっていたのは、絶対的な正解が1つ、こうでなければならないという決まりがあって、そのために身体ではそのポーズのいわゆる「完成形」を作ることを目指し、マインドを浄化して、という感じだったのですが、それがとても苦しかったのですね。その当時は、突き詰めれば突き詰めるほど、なぜさらに苦しくなっていくのか。その理由がわからなかったのですが…。
iRestは、唯一の正解に全員を当てはめるものではなく、自分の体験ありき。
人の数だけ体験があるように、人の数だけ正解があります。
やってみて「そうだ」としっくりくるものが自分の真実。
それはとても自分を力づけてくれるものです。
「元々そうなんだ」
「そうあろうとしなくても、すでにそうなんだ」
「あぁ、だから自分は自分でいいんだな」
そう思い出せるツールだと思います。
iRestを日常に取り入れるようになってから、なんとなく頭ではこう、損得勘定をするとこっちだけど、感覚的にはそっちだと思ったら、なるべくそれ。自分がその方向にいくことを許すようになっています。
Q: そもそも、川原さんとヨガとの出会いは?
ヨガを始めたのは17,8年前です。
当時は会社員で、とても忙しくストレスの多い仕事をしていました。
知人に、「ヨガはストレスに良いんだよ」と教えてもらい、自分の心身の健やかさのためにやってみようと思ったことがきっかけです。
ただその頃は残業続きで、ほとんどヨガスタジオに通うことができませんでした。その後、多忙すぎる生活で身体を壊して入院した時、自分の人生をじっくりと振り返ったのです。
そして「仕事はいくらでも取り替えがきくけど、自分の身体は一つしかないんだ」という、非常に当たり前のことに気づくことができました。そして「自分は何を大事に生きていくか」を真剣に考えるようになったのです。
当時は忙しくてなかなか続けられませんでしたが、たまに行くことができたヨガの時間はすごく好きだったなと、自分が心地いい、安らぐ感覚をよく覚えていたです。なので、その感覚を大事にしたいなと思って。
そこから本腰を入れて、定期的にヨガをするようになりました。
最初はスポーツジムでヨガをしていましたが、その後、都内にあるインターナショナルなヨガスタジオの草分けのようなところに通いだしたのです。そこで、クラスや講座の通訳を頼まれるようになり、数年が経って、ヨガ通訳を本業にしていきたいと思うようになったのです。
ただいくら英語が出来ても、ヨガの専門用語や知識がないと、教えている方が何を教えたいのかを的確に伝えられないので、アメリカで300時間のヨガの指導者養成講座を取ることにしました。つまり指導者ではなく、ヨガ専門の通訳者になるつもりで指導者養成講座を受けたのですが、「指導者の資格を取ったのであれば、クラスをしてくれませんか」と頼まれて、通訳の仕事と並行してヨガ教えているうちに、次第に教えることがメインになっていったのです。
Q: 自分の心に正直に歩んでいらっしゃるのですね。
今思うとそうかもしれませんね。
不器用なりに、会社の仕事もきちんとやっていたのですが、真面目にやっていたからこそ、忙しすぎたのだと思います。
そしてヨガの学びが深まってくると、これだけ自分の時間とエネルギーを割いてしていることが何の役に立っているのだろうと考えるようになりました。自分がしていることの先というか、これだけ時間を割いている、エネルギーも割いている、そしてこれだけ心も身体もボロボロになって何に貢献できているのだろうって。
仕事は安定していましたし、職場の人間関係も問題なく、業務にやりがいがないということでもなかったのですが、何か違う、何か違うと感じるようになって、どんどんしんどくなってしまったのです。
退職は、2011年3月末でした。
もちろん、あんなことが起きるなんて想像もしていませんでした。
ただ、退職を決意するまでも、あっちに行こうかな、いやここに留まろうかな、と気持ちは行ったり来たりしていたのです。フリーランスで経済的に自立できるかどうかの保証もなく、「こんな恵まれた仕事を手放すのは無謀なのか…」とか悩んだり。
でも休みをつなげて海外のリトリートやトレーニングを受けるたびに、「やっぱりそうだ、やっぱりそうだ」って思いながら日本に戻ってくるんですよね。
そしてついに2011年の1月に上司に退職の話をしたのです。
すると上司の反応が、いい意味で私の想像とは大きく違って……。
「この世の中、そもそもやりたいことがあるのは素晴らしい」
「やりたいことがあっても、でもだいたい皆、でも…と足踏みしてしまう。それを、やろうというところまで来ているのはなかなかないことだから、思い切ってやってみたらいい」
その上司は、別に嫌な上司ではなかったのですが、そういう話をするような関係性ではなかった分、とても驚きました。さらには「辞めた後、万が一何かあったら、また戻ってくればいい」とまで言ってくれたのです。もちろん、一度辞めて復職するのは、口でいうほど簡単なことではないと分かっていましたが、そういう気持ちで送り出していただけるというだけで、とても励みになりました。
そして3月末に退職する予定だったのですが、あの震災が起きました。
その時も上司に「この先どんなことがあるか分からないから、今なら辞表を撤回してもいい。辞めることを止めていい」と言われたのです。
本当にありがたかったです。
そのまま残らせてもらった方が安全牌だったとは思いますが、ここで辞めるの止めたら、二度と思い切れない気がしたので、その言葉だけをありがたくいただいて退職することにしました。それがちょうど10年前のことです。
Q:最後にこのインタビューをお読みの皆さんへのメッセージがあればお願いします。
今、日常生活のちょっとした潤い、人として豊かに生きていくために欠かせないものが、「不要不急」の名の下にどうしても遠ざけられている気がします。そしてそんな時、一番しわ寄せがいってしまうのが、自分の心を労わる、穏やかに落ち着くことで、生活が厳しくなればなるほど、休んでいる場合ではないと、自分を追い詰めてしまいがちです。
そうなると、どんどんバランスをとるのが難しくなって、余計にきゅーっと縮こまってしまうものです。そんな風にきゅーっとなってしまっている時こそ、ふっと、起こっているその状況をいかに俯瞰して観ている側の自分に戻ってこれるか。
そういう意味で、iRestは、今、誰にとっても、とても必要で役に立つものだと感じています。
今、起こっている出来事だけを考えてしまうと、なんでこんなことが自分に起きてしまったのだろう…となりがちですが、でもそうやって足止めされているように思える出来事も、本当は「こっちだよ、こっちだよ」と教えてくれているんだなと。
その時はそう思えなくても、iRestをすると、「あー、そうだった」と思い出すことができます。
そうすると、「絶対的な安心感、安らぎ、静けさ…。真髄としての自分は、いつも変わっていない。その中で今これが起こっているんだな」と、いう気づきに還っていくことができ、自ずと捉え方が変わって、自分を楽にしてあげることができます。
そう気づきがあるか、ないかというだけで、救われ方が違うのです。
生きづらい世の中だからこそ、何かしら自分の拠り所があるということはすごく大事ですよね。
そうしたことを、これからも真摯に丁寧に、皆さんと分かち合っていきたいと思っています。
(取材/文:岡見京子)